継続は大切だが、うつ病の場合は継続が病状悪化へとつながる場合もある
そらそら(@sorasorautsu)です。
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今回は「継続は大切だが、うつ病の場合は継続が病状悪化へとつながる場合もある」というテーマでお話ししたいと思います。
継続は力なり
「継続は力なり」という有名な言葉があります。
続けることの重要性、弛まず挫けずに続けていくことの大切さを端的に述べた表現です。
これまで偉大なことを成し遂げてきた多くの偉人は、この継続を大切にしてきたことでしょう。
うつ病の治療に対しても同じことが言えます。
継続した休養・服薬治療は寛解への近道になるでしょう。
焦りから生じる継続の危険性
しかし、この継続が病状悪化へつながることがあることも覚えておいて欲しいです。
それは焦りから生じる継続です。
うつ病患者に比較的多くみられる思考の歪みとして「べき思考」というものがああります。
「~すべき」という思考です。
これは「全か無化の法則」(後日「思考の歪み」にて解説します)とも捉えられ、あたかも答えが一つであり、それを行わなければ全てが無に帰すという、一種の強迫観念に似た思考でもあります。
うつ病患者は、病気の寛解を目指して、何かしらの行動(努力)をすべきであると考える方が多いと思います。
それは、周りの人が一生懸命働いていることに対する引け目等から生じているかもしれません。
病気になって迷惑をかけていると考え、一刻も早く治さなければ、という焦りから生じるものかもしれません。
どのような理由にせよ、焦りから生じる、治療に対する「継続すべき論」には気を付けたほうが良いです。
例えば、「医師から朝は起きて、夜は早く寝るように」また「認知行動療法の一環として毎日日記を書くように」と指導されたとします。
この時に気を付けてほしいのは、何も完全に実行しなくてもよいということです。
調子が悪く一日実行できなかったからと言って、治療のすべてが無に帰す訳ではありません。
うつ病は良くなったり悪くなったりを繰り返しながら寛解へ向かっていきます。
昨日できたことが、今日できなくなることなんて日常茶飯事です。
「今日できたらラッキーだ」、そのような軽い気持ちで、長い目で継続していくことが、結果的に自分を追い込めずに、継続を「力」へつなげられるとお伝えします。
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死にたい気持ちに理由があるとは限らない
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今回は「死にたい気持ちに理由があるとは限らない」というテーマでお話しします。
身近にある「死」
うつ病の精神症状には、希死念慮や自殺念慮があります。
うつ病の症状には様々なものがありますが、健常者から最も理解を得られないのがこの症状であると感じています。
健常者はこう言います……
「なぜ死にたいのか」
「あなたはこんなにも恵まれているではないか」
「もっとつらい環境にいる人もいる」
「ただかまってもらいたいだけだろう」
と……。
私自身も、うつ病になる前は「なんですぐ死にたいというのか」と思っていました。
しかしこればかりはうつ病になってみないと分からないものです。
うつ病になってからというのもの、不思議なほど日常生活において「死」という言葉が連想されるようになります。
例えば、仕事に行くとき「交通事故にあえばいいのに」と考えたり、高い建物に上った際には「落ちれば死ねる」、電車のホームでは「一歩踏み出せば楽になれるのではないか」等、「死」が日常生活に入り込んでくるのです。
(※ここではっきり言っておきたいのは、自殺するのは仕方がないことだと言いたいのでは決してありません。自殺とは人を殺す行為です。それは自分自身だけでなく、周りの人を痛めつけ、悲しませ、迷惑すらかける行為です。どんな事情があれ、あってはならないことだと私は考えています。)
希死念慮や自殺念慮がある方には、生きるということがそれほど辛いものになっていると理解していただきたいです。
しかし、だからと言って……
「何が死ぬほど辛いのか」
「その辛さをどう取り除けるのか」
……と深く問われると、自分自身でもわからないことが多くあります。
自分の環境や体調によって「死にたい」と感じることもあれば、何が原因で「死にたい」と感じるのかわからないこともあるのです。
つまり、死にたい気持ちに理由があるとは限らないということです。
もし「死にたい」と言われたら
では、うつ病患者が「死にたい」と言ったとき、周りの人はどのように対応すればいいのでしょうか。
どうか「死ぬなんて言うな」等とは言わず、優しく見守っていてほしいです。
人にもよると思いますが、死にたくないのに死にたい気持ちが止めどなく湧き上がってくるという、相反する気持ちも存在するのです。
ただ近くにいてくれるだけでも良いです。
今、死にたいほど辛いということを分かってほしいです。
「大丈夫。いつかその気持ちがなくなる日が来る」と信じ、相手にもそう伝えてほしいです。
そしてそのうえで、「例え死にたくなっても行動だけは起こしてはいけない」と強く伝えてほしいです。
近くにいる人に「理解してほしい」「伝えてほしい」と一方的にいうことが失礼に値することはよくわかっています。
しかし、希死念慮、自殺念慮に対処するのに必要なのは、周りの人の「心からの理解と愛」だと私は思っています。
適切な負担は糸(精神)の弾力性を高め、結び目を強くする助けとなる
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今回は「適切な負担は糸(精神)の弾力性を高め、結び目を強くする助けとなる」というテーマでお話しします。
「何もしないことをする」治療
うつ病で苦しむ多くの人は、無気力、虚無感、倦怠感等の精神症状が出現し、何かに取り組む意欲が出ないのが普通です。
そのようなときは、精神という糸が切れたばかりであり、休養が必要だというサインです。
「何もしていない」ことを責めてしまう人も多いと思いますが、この段階では「何もしないことをする」のが治療なのです。
休養についてはこちら↓
何かしたくなったとき
徐々に、何でもよいが「何かをしたい」という意欲が出現してきたら、それは精神症状の出現が弱まり、体調が良くなってきているというサインです。
しかし、ここで注意していただきたいのは、このような精神症状は休養時間と比例して良くなるとは限らないということです。
良くなったり、悪くなったりを繰り返していきます。
体調の良し悪しに一喜一憂しないこと、つまり体調が良いからと焦らないことが大切です。
結果的に焦らず休養することが治療の近道となることを覚えておいて欲しいです。
糸(精神)に徐々に負荷をかける
意欲がある日が増えてきたら、負担にならない範囲で徐々に負荷をかけることをお勧めします。
最初はほんの些細なことで良いです。
布団から出る、髭をそる、髪を整える……
家事をしてみる、買い物へ出かけてみる、人と会ってみる……
……と、昨日できなかった些細な生活を取り戻してみるのです。
そして、できていないことにではなく、できたことに目を向けます。
可能ならば、できたことを文章化し、可視化するもの一つの方法です。
このような自分の体調に合った負荷は、一度切れて、休養によって結びなおした糸を強くする作用があります。
少し引っ張るというイメージです。
その時々に合った適切な負荷は、糸の弾力性を強め、結び目を固く、より堅固なものとします。
負荷をかけ過ぎない
負荷をかけるに当たり、一番注意すべき点は負荷をかけ過ぎないということです。
焦って必要以上の負荷をかけた場合、再び糸が切れてしまう、結び目が解けてしまうという場合があるためです。
負荷をかけるとは、それだけで辛いものです。
些細な負荷であったとしても、翌日にうつ病の症状が強く出現するというのはよくあることです。
そのような場合があったとしても「こんな日もある」と今の体調を受け止め、焦らずに休養することに専念して欲しいです。
焦らずに日々過ごすなら、いつかきっとこの病とうまく付き合いながら、より自分にとって良い人生を歩めると強くお伝えします。
糸(精神)の状態を正しく判断する
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うつ病は突然やってくる
良く勘違いされることですが、うつ病はストレスにより徐々に弱って発症する場合もあれば、ある日突然、緊張の糸が切れたように発症することも多々あります。
それは細い糸(精神)が引っ張られて、突然切れるのと似ています。
一度糸が切れると、切れた糸の断面は解れ、一杯引っ張られたために糸の弾力性も低下します。
たとえ、糸を結びなおした場合でも、再び糸が引っ張られると、以前切れた場所の結び目が解け、再び切れてしまいます。
以前は多少無理をしてできていたことであっても、一度切れ、弾力性を失った精神は無理ができません。
糸(精神)を戻すには……
では、一度糸(精神)が切れていしまった人は、もう以前のように生きていけないのでしょうか。もう元に戻らないのでしょうか。
決してそのようなことはないです。要は休養と工夫です。
今までは精神という自分の糸を、時に伸ばしたり、緩めたりしながら生きてきました。
どの程度まで伸ばせるのか、糸の太さはどうか、弾力性はどうか、緩めすぎて、張りすぎて糸が弱くなっていないか等、自己の精神という糸の状態を自己評価し、その時々でどの程度引っ張るべきか、緩めるべきかを決めてきました。
うつ病と診断された方は、この糸(精神)の状態評価を誤って判断する傾向があります。
正しく糸の状態を判断できないために、本来耐えられない負荷を糸に与えてしまい、ある日突然切れてしまうのです。
しかし、ここに再び糸を切らせず、うつ病を克服する鍵があります。
糸(精神)を休める休養
まず必要なのは、十分な「休養」です。
(※この休養には医師から処方された薬を正しく「服薬」することも含まれます。)
これは何事にも無理をしないということです。
休養は糸を緩めることとなり、糸に不必要な負荷をかけないことにつながります。
ここで大切なことは、身体的にも精神的にも負荷をかけないということです。
肉体と精神は相互作用の関係にあります。
肉体が精神に、精神が肉体に影響を与えています。
自分の好きなことを、睡眠時間を削ってまで一日中没頭していては、身体的な負担へとつながります。それは結果的に精神的負担へもつながります。
対照的に一日中寝てばかりでいては、身体的負担は減ったとしても、精神活動が制限され、それが返って精神的な負担が増えてしまいます。
休養にもバランスが必要なのです。
そして、この休養が十分な成された後に、次のステップへ進む力を得られます。
糸(精神)を切らせない工夫
次に必要なことは糸が切れない「工夫」です。
もし可能ならば、以前糸が切れた原因を上げていくと「工夫」はより容易になります。
自分がどこで無理をしていたのか、糸に対して不必要な負担をかける行動・思考の傾向はなかっただろうか。
このように、自分が糸に対して負担をかけやすい傾向を把握できれば、無駄な負担をかけないよう、今後工夫していけばよいです。
しかし、この工夫することの難しい点は、何が自分の糸に負担をかけているのか把握できていない場合です。
気づいた時にはもう糸が切れていた、どこが糸の負担になっていたか自分でも理解できていない。こういう方は多く存在すると思います。
そのような方は、まず何が負担になるのか把握することから始める必要があります。
方法はいくつかありますが、すぐできることの一つに日記を書くことが挙げられます。(※私は「三行日記」というものをやっています。後日ご紹介します。)
人は行動する前や行動した後に何かしら考えています。
この「考え」は自己の負担を把握するうえでとても重要です。
考えが行動を起こし、行動が次なる考えを生む、そして考えと行動が、その後の気分を決める大きな要因となるのです。
しかし、自分の考えを、言語化し認知している人は僅かです。
考えを言語化すると、その時の自己を振り返ることができます。
その時の気持ち・気分を把握することこそ、何が負担となっているのか、何がうつ病の原因となっているのかを知る近道となります。
最初はその時の気持ち・気分を記すだけでも良いです。
徐々に行動と考え、気分を記す習慣をつけることにより、自己を見つめ、自己を知る習慣をつけられます。
自己を知ること、これは生きていくうえで、自分に不必要な負担をかけない、より工夫した生活を送る第一歩となります。
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自己評価は他者なしで初めて正しく存在する
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「自己評価は他者なしで初めて正しく存在する」というテーマで考えたことを書きます。
気持ち・気分・意欲の上がり下がり
気持ち・気分・意欲とは不思議なものです。
人の内面に存在するため、目には見えません。
それゆえ、見ただけでは他者には分かりません。
しかし、確かに私たちの日常生活は、この気持ち・気分・意欲の上がり下がりに影響を受けています。
他者の中に自己を見出す
さらにうつ病患者に対しては特に言えることですが、この内面の変化は突然やってくることが多いです。
他者の些細な言動、時間の経過、価値観の変化……様々な要因により、内面に変化が生じます。
例えば……
自分の言動に対しての相手の些細な反応(目をそらす、表情の変化等)から、自己の内面へある力が働き、変化が生じます。
つまり、私たちは時に、他者の変化を自己の変化へとつなげてしまう傾向があるのではないでしょうか。
そして、自分の気持ち・気分・意欲をコントロールすることが困難なうつ病患者は、他者の中に自己を見出そうとしている傾向があるのではないでしょうか。
私自身がその例に当てはまります。
他者の評価を自己の評価に置き換える傾向があるのです。
これはうつ病患者以外のある一定層の方にもみられる傾向であると思います。
一見、人は他者と関わることにより、自己の評価が上下すると考えることがあります。
しかし、間違えてはいけないのは、自己評価は決して他者の評価から生まれるものではなく、他者から切り離した自己の存在こそが、正しい評価へつながるということです。
架空の自己評価に惑わされない
人は確かに一人では生きていけません。
しかし、自己評価は他者なしで初めて正しく存在すると私は考えます。
現在抱えている気持ち・気分・意欲は、感じた時点では確かに存在するものです。
しかし、それがどこから発生したものなのか、それが本当に正しい気持ち・気分・意欲なのか、よく考える必要があります。
もしかしたら他者評価が自己評価へとすり替わり、その気持ち・気分・意欲は、架空のものであるのかもしれません。
架空のものに悩み・苦しんでも解決の糸口は見つかりません。
なぜならそれは正しい評価ではないからです。
これらのことから、気持ち・気分・意欲に変化が生じたとき、今一度、他者から自己を切り離し、自己評価をすることが大切であると考えます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
うつ病は自分を見つめる病
そらそら(@sorasorautsu)です!
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「うつ病は自分を見つめる病」というテーマで考えたことを書きます。
うつ病による自己の破壊
うつ病は、良くも悪くも今までの自分を壊していきます。
・思うように気持ちが、身体が動かない。
・相手のことまで考えられない。
・人の目は依然として気になるけど、前のように行動できない。
思うように自己を表現できないというのは、想像以上に自分自身を苦しめます。
うつ病は、そんな自分をまた責めて、追い詰め、焦りばかりが先行し……
気付けば、元気だった前の自分に戻ろうとします。
しかし、「元に戻る」、果たしてそれは良いことなのでしょうか。
それは「完治・寛解」といえるのでしょうか。
うつ病は違う生き方を提案してくれる
うつ病になって、自分と向き合って考えたこと、それは……
「自分らしく暮らしていくことがどれだけ困難か」
ということでした。
自分の奥底に隠している、素直な気持ちや感性を、今の暮らしに行動として表現すること。その困難さから逃げるために、楽な「元の自分」に戻ろうとしているのではないでしょうか。
私は、うつ病になって様々なことから文字通り逃げてきました。
情けない、弱い自分を嫌というほど見てきました。
だからこそ、ここだけは逃げたくない。
「自分らしく生きる」ということ。
ここで逃げては、きっとまたここに戻ってくることになる。
弱くたっていい、情けなくたっていい、まずはそんな自分がいることを認め、受け入れることからこの病気の治療は始まるのかもしれません。
そんな自分を、まずはここで表現することから始めたい。自分を見つめなおし、自分を知る、そのきっかけになればよいと思っています。
長々と読んでいただきありがとうございました。
うつかんの本棚
ようこそ「うつかんの本棚」へ!!
初めまして。そらそら(@sorasorautsu)と申します。
初投稿ということで、簡単な自己紹介&ブログでやっていきたいことを書きます。
自己紹介
そらそらは、アラサー看護師です。
しかし、「うつ病」と診断されて、現在無職に。
看護するために看護師になったのに、看護される側になるとは。
でも意外と同じような方はたくさんいるのかも。
病気になって初めて健康のありがたさに気付くものです。
現在は、妻と娘の3人暮らしで、休養しながら「専業うつ」しています。
療養中に読書の魅力に引き込まれました。
作家さんでいうと米澤穂信先生、辻村深月先生、乙一先生、etcを好んで読みます。
生い立ちを含めた、私がうつ病と診断されるまでの経緯はこちら↓
内容について
このブログでは、一患者としてのうつ病闘病生活&本を読むことにより気づいたこと、感じたこと、考えたことをご紹介していきます。
同じような病気で苦しむ人にとって何かしら為になるような……等の大層なことは考えていません。うつ病はひとくくりに「これがいい!」とは言えない、そんな複雑さを兼ねそろえた病です。なので、「こんなうつ病患者もいるんだ。」「こんな考え方もあるんだ。」と、気楽に読んでいただければ幸いです。
→「鬱」+「看護師」+「読書」ということで……「うつかんの本棚」やっていきたいと思います。
皆様、よろしくお願いいたします。