もう死のうと考えた時に起こったこと
最近集中して本を読めません。
そらそら(@sorasorautsu)です。
お越しいただきありがとうございます。
はじめに……
これまでの記事では、読者になるべく読みやすいように考えながら文章を構成してきました。そのため自分の感情を少し抑えて記事も書いてきました。しかし、そのことに集中するあまり、自分の本当に言いたいことや考えていることに言及できないのも良くないと感じました。そのため、これからはもっとフランクに、良い意味で気楽にブログを記していきたいと思います。
今回は「もう死のうと考えた時に起こったこと」というタイトルでお話しします。
自殺を思い止まらせるもの
私にも希死念慮や自殺念慮はある。
健康な時は一度も考えたことはないのに、うつ病になってからというもの、どうしよもなく死にたい願望が強い。
でも不幸中の幸いなのか、私は自殺だけは絶対したくないという意思がある。
なぜならそれは周りの人をとても悲しませる行為であるし、自分であれ殺人であるし、自殺した後のことを考えると色々恐ろしいから…
…と色々言い訳を言うものの…
…つまりは自殺する勇気がないからである。
だって痛いでしょ。
苦しいでしょ。
「もうこんなに苦しんでいるのに、これ以上自分からわざわざ苦しくなるのは嫌だ」
という、なんとも自分本位な理由である。
自殺を選ぶ方はそれ以上に生きていることが苦しいということなのだと思う。
だから自殺された方を否定するつもりは全くない。
むしろそれだけ自分の人生を一生懸命歩んで来たがための選択であったのかもしれない。
よく「なぜ自殺してはいけないのか」という問いがある。
答えの中には、先ほど私が挙げたような「人に迷惑がかかるから」「人を悲しませるから」という周りの人への影響を挙げたものから、「自殺したらあの世では地獄に行く」等の霊的・宗教的な回答、そして私が考えている「苦しいから」という自分本位な理由まで様々である。
ここではその問いに答えることはしない。
(私ごとき人間はそんな難しい問題に答えられない)
でも正直、自殺を思いとどまらせるものであれば、どんな理由でもいいと思う。
周りの人のためであっても、自分本位の理由であっても、何かほかの理由であっても…
…きっと、生きているというのは、それだけで儲けものなのだ。
私の自殺を思い止まらせたもの
今はこのように考えている私であっても、過去に一度、どうしよもなく死にたくなって高いアパートから下を覗いたことがあった。
ふと「落ちてみようか」と思ったのである。
しかし、下を見ると…
…さっきまでいなかったのに、そこには保育園から帰ってきた妻と子どもがいて、私に手を振っていた。
そこでふと我に返る。
そしてその場で泣き崩れた。
やっぱり死ねないって。
どんな理由であれ、生きることから逃げちゃダメだって。
人は例え天涯孤独の身であったとしても、他者がいないと生きていけない。
人に支えられて生きている。
生かされている。
死にたい人はそのことに気付けないくらい孤独で苦しい道を歩いている。
自殺者は一時期3万人を超えており、現在は徐々に低下しているが、それでも年間2万人以上の人が自ら命を絶っている。
誰でもいい、どんな理由でもいい、その2万人の近くにいられなかったのだろうか。
止められなかったのだろうか。
自殺者の気持ちが少しわかる、今の状況の自分であるからこそ、できることはないのか。……と考えている。
今回は何のまとまりもない、ただ自分が思ったことを記事にした。
こんなことを偉そうにブログに綴っても意味ないことは分かっている。
ただ自殺がなくなればいいと心から思い、願っている。
最後まで読んでいただきありがとうございました。