逃げるは恥だが、死ぬなら逃げろ
毎日逃げてばかりいます。
そらそら(@sorasorautsu)です。
お越しいただきありがとうございます。
今回は「逃げるは恥だが、死ぬなら逃げろ」というタイトルでお話しします。
今回のタイトルは、言わずともわかると思うが、昨年放送されたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を真似してつけてみた。そして、後半の「死ぬなら逃げろ」という言葉は、私がうつ病になり、とても希死念慮が強かった時に読んだ本に書かれていた言葉から頂いた。そう、今回は(タイトルとは相反するが)「逃げるのは恥じゃない」「死ぬくらいなら全力で逃げろ」というメッセージを込めて書こうと思う。
逃げるのは恥ずかしいことなのか
私が子どもの頃、よく多くの大人に言われた言葉。
「逃げるな」
「努力しろ」
「壁を乗り越えろ」
「がんばれ」
「何かうまく物事が進まないときは自分に原因がないか考えろ」…
…人生の局面に立たされた時にどう対処すべきか、なぜか多くの大人は…
「逃げることが恥である」
「他人のせいにするのは恥である」
「何事も努力して乗り越えたほうが良い」
と教える。そして、逃げないで成功を得た人を称える。
確かに、この世の中を良くしてきた多くの偉人たちは困難・苦難に立ち向かい、その結果、偉業と言われることを成し遂げてきた。発明品でいうなら、私たちの周りにある、時計、携帯電話、パソコン、テレビ、自動車、洗濯機、レンジ、オーブン……挙げたらきりがない。私たちは、その恩恵を享受し、現在生活している。それは一つの事実である。私たち人類は困難から逃げないことによって生活を良くしてきた。しかし、いつしか「逃げないことが良いこと」→「逃げることは恥ずかしいこと」に変わっていった。
「責任から逃れる」「困難から逃げる」……このように「逃げる」とは、しばしば否定的な言葉で用いられることが多い。しかし、慣用句にはこのような言葉もある。
「逃げるが勝ち」…
…「争わないで相手に勝ちを譲るほうが、大局的に見れば得策である」
という意味である。
逃げるのが良いとされることもあるのだ。
時に逃げることは恥でも何でもない。
むしろ賢い選択となる。
なんでも逃げなければよいというわけではない
目の前に命に係わる事態が生じたとき、誰もが逃げるだろう。
例えば火災で火が燃え広がった時、初期消火ではとても火が消せないと分かった時は誰もが逃げる。この場面で一人「逃げるのは恥だ」と言っている人がいたら、ちょっとおかしい。
では、なぜ困難から逃れることが「恥」になってしまったのか。これは先ほどの例からも言えるように、「逃げなくても死なないから」という前提があるためだと思う。命に係わることとなれば、逃げるのは当たり前であるが、「死ぬ気でやって死ぬやつはいない」という言葉があるように…
実際困難に立ち向かっても死なない
↓
だから勇気を持って立ち向かえ
↓
立ち向かわない者は勇気がない
↓
恥
…というように世間で考えられる傾向があるためだと思われる。
うつ病は逃げないと死ぬ病気
ここではっきりさせたいことがある。
それは、「うつ病は生死に係わる病気」ということである。
このことについて、反論する人もいることと思う。未だに「うつ病は甘え」「精神疾患は気の持ちようで治る」と考えている人たちがそうであろう。
このように考える人たちは、「うつ病が『がん』や『脳血管疾患』などのように器質的な問題で死を招くのではなく、心理的・精神的に死を招く病気である」ということを理解していない。
日本では年間2万人以上の人が自殺をし、自らの命を絶っている。若年者の死因第一位は自殺である。自殺した多くの人は精神疾患があったというデータもある。このことからも分かるように、うつ病は生死に係わる病気である。
もし、このブログを読んでいて、死にたい気持ちがある方がいたら…
「全力で逃げろ!」
…と言いたい。重ねて言うが、この病気は逃げないと生死に係わる病気である。逃げることが恥ずかしいと思ってしまう人もいるだろう。しかしそれでも「逃げろ」と言いたい。そして、生きるために逃げることは何も恥ずかしいことではないと言いたい。
逃げた先にあるもの
私は、「逃げる」ことは自分にとってより生きやすい環境を探すことだと考えている。何も無理して、それも生死に係わるほど、今の環境に留まることが良いことだとは全く思わない。それは見方を変えれば、現状維持で満足していると言えなくもない。
後ろ向きに思いっきり逃げたために、新たなる助走を得て乗り越えられる壁も存在する。
時にはより歩きやすい道を選んだっていい。それは賢い選択でもある。
逃げた先にしか見えない未来が必ずある。
最後まで読んでいただきありがとうございました。