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うつかんの本棚

うつ病になったアラサー看護師→現在「専業うつ」。病気・読書から得た情報を発信します。

私がうつ病になってよかったこと

 

 空腹感はあるのに食欲のない日を過ごしています。

 そらそら(@sorasorautsu)です。

 お越しいただきありがとうございます。

 

 今回は「私がうつ病になってよかったこと」というタイトルでお話しします。

 

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 こんなタイトルで記事を書こうとしているなんて、私も頭がおかしくなってしまったのだろうか。正直、うつ病になってよかったことなんてない!とはっきり言える。それだけ苦しく理解の得られていない病気の一つであると感じている。

 

 では、なぜこんなタイトルで記事を書こうと思ったのか。それは将来、この病を乗り越えたときに「この経験が無駄ではなかった」と言えたらいいな。そう思ったからだ。現実問題、いつ寛解できるのか、再発の危険、そもそも一生付き合っていかないといけないのでは……など不安要素は山ほどあるのだが……。いつも将来に対する不安ばかり考えて落ち込んでいるので、せめてブログ内ぐらいは将来を少し楽観視したい。

 

 話は少しずれるが、私はうつ病と診断され少し経過してから読書の魅力にはまってしまった。(診断されてしばらくは読書どころか寝たきりだったのだが……)うつ病は良くなったり悪くなったりを繰り返しながら寛解へ向かうのだが、私も荒波に飲まれながらも、何かに興味を持てるようになるほど体調は少しずつ良くなっているようだ。それからは体調の良い日に色々な本を読んだ。そしてたくさんの本から生きる力をもらった。
 
 たくさん読んだ中でも特に力づけられた本がある。聖路加国際病院名誉委員長・同理事長である日野原重明氏の著書「道は必ずどこかに続く」である。
 日野原先生は御年105歳。医療業界ばかりでなく、世間的にも大変有名な方である。そんな誰もが認める「成功者」にも様々な挫折があったようだ。
 日野原先生が大学の医学部に入学した時、日野原先生は結核と診断され、休学し療養することとなった。突然の病、そして人生設計の狂い、自分だけ周りから取り残されるような、まっすぐなレールから振り落とされるような気持ち……相当悔しかったようである。これは私や多くのうつ病患者も似たような経験をしてきたことだろう。日野原先生も相当焦ったようであるし、落胆もしたようだ。日野原先生の場合、約一年の療養で回復し、復学できたようである。(正直、うらやましい限りである)その後、自分が病に倒れた経験を活かして、患者第一の医療を提供し続けるために、医療業界に大きな影響を与えてきた。まさに挫折や苦難が後にエネルギーとなり、世の中に必要とされているものを生み出した良い例である。日野原先生は著書でこのように語っている。

 

 「人生最悪の経験が、さまざまな経験を経てることで、あれはかけがえのない体験だったとわかってくる……」

 

 私がうつ病で苦しんでいるときにこの言葉を読んだが、正直、病気が完治して成功できたからそう言えるのだと否定的な解釈しかできなかった。実際病で一生苦しむ人もいるのだ。しかし、よくよくこの文章を読むと「さまざまな経験を経ることで……」と書かれている。人は今が最悪な状況でも、この先どうなるかは誰にも分からない。その経験が何に役立つか分からない。これは確かに事実である。未来は誰にも分からないのだ。この先どんな経験をするかで、人の価値観など簡単に変わる。

 

 冷静に自分の闘病生活を振り返って考えてみると、うつ病になったからこそ気づけたことも多々あった。うつ病の苦しさを知り、長年、うつ病である私の父や同じような病で苦しむ方の気持ちや葛藤を知れた。この病が世間的にまだまだ受け入れられておらず、誤解があることを知った。病気とわかると離れていく友人、逆にどんな時でも支えてくれる家族がいることを知った。病気にならないと分からないことは山ほどある。それはある意味特権でもある。(多くのうつ病患者はそんな特権いらないと思っているであろう)私は、病気は苦しくていやだ。この意見は変わらない。でも病気になってこそ知れることがあるのも確かである。

 

 病気になったからこそ気づけたことは確かにあるが、病気になってよかったことは……(ここまで読んでいただいたのに申し訳ないが)正直現段階で分からない。でもこの先ずっと分からないとは限らない。将来、どんなことが待ち受けているのかは誰にも分からない。だから、うつ病になってよかったと言える日が来るかもしれない。そんな簡単に考えられないのも事実だが……この闘病生活が、「いつかかけがえのない体験」になるのかも知れない。それは私に限らず誰にとっても可能性のあることなのだ。自分が望んだ道とは異なるかもしれないが、この道は必ずどこかに続いているのである。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。