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うつかんの本棚

うつ病になったアラサー看護師→現在「専業うつ」。病気・読書から得た情報を発信します。

看護師が看護される側になるまで

そらそら(@sorasorautsu)です。

今日は暗い気持ちが続いて、気分を変えるのが難しかったです。 

そこで過去を遡って自分を見つめ返してみました。


 ※ここでは、自分の生い立ちを記しながら、私がうつ病と診断される日までをまとめていきたい。読んでもらうというよりは、ここに書くことによって自分自身を振り返り、考え方の癖や思考の歪みを知れたらと思う。過去記事と内容が被っている個所もあるし、正直読んで楽しくはなく、まとまりもなく、落ちもない文章である。それでも読んでいただける方はお付き合い願いたい。

 

 どこまで遡るか考えたが、私の人生を変えたある一日から始めることとする。
 詳しくは覚えていない。私が中学生の時だ。ある日の晩、突然家族会議が行われた。議題は父の病気について。私の父は、優しく温厚な性格であり、一家の大黒柱として夜勤を含む不規則で忙しい仕事を長年続けてきていた。しかしその日告げられたことは、その父がうつ病になったということであった。「うつ病?それはどんな病気?」この時初めて「うつ病」という言葉を聞く。反抗期に入り、いきなり家族会議を開くといわれ、自分の時間を奪われたことに対してイライラしていた私は、素っ気なく「すぐ治るんでしょ?」と聞いたことを覚えている。私の問いかけはあいまいに流された。誰もうつ病について詳しく知らなかったのだ。今考えると、診断された本人も母も混乱していたのではないかと思う。いや、混乱していたはずだ。この日から父は仕事を休むこととなった。
 ちょうど思春期で反抗期でもあった私は、極力父に近づかないようにしていた。得体のしれない何かに接するように冷たく対応していたと思う。それは「うつ病」という病が理解できないことから生じる恐怖心や精神疾患への偏見などがあったためだと思う。思い返すとひどい息子だった。家では反抗していても、学校では充実した日を過ごしていた。友達で困ったことはなく、生徒会長をするなど、割と外交的で積極的に物事に携わるタイプだった。私が高校生になった時には父も復職していたと思う。記憶があいまいだが、それだけ疎遠な関係になっていた。高校一年生は平穏に過ごした。だが、高校二年生になった辺りから父のうつ病がひどくなり、休職や復職を繰り返し始めた。家でも家族に「死にたい」「殺してくれ」ということが多くなった。私も幾度となく繰り返されるやり取りにうんざりしており、「もっとがんばってよ」と、平気な顔で禁句を述べていた。私が夜遅くまで起きていて、トイレなどに行く途中、父の部屋の前を通るのだが、父の部屋を覗くと、父は必ずと言っていいほど、暗闇の中、布団の上で正座をして、何かに耐えていたのを覚えている。突然「死んでくる」と言って外に飛び出す日もあった。また包丁や金槌を持ってきて「これで殺してくれ」と泣きながら懇願される日もあった。その当時は本当に病状が悪化しており、ひどかった。うつ病に父だけでなく、家族みんなが振り回されていた。父の病状悪化に伴って、私の日常も狂い始めた。学校をさぼる日が日に日に増えていった。友達は次第に減っていき、教室では一人でいることがほとんどだった。家でも荒れていた。ついには高校側から、これ以上休むと進級できないとまで言われた。真っ暗な毎日だった。高校三年生になり、父が入院するようになる。正直ほっとしていた。それから不思議と私も学校へ行くようなり、無事高校を卒業する。しかし、私にとって高校生活は暗黒時代であり、今をしても高校の友達とは誰一人として連絡をとっていない。その後、私の人生は色々あったが大きな病気に罹ることもなく、ある程度平穏に過ぎていった。父のうつ病も治りはしないものの次第に小康状態を保つこととなる。


 こんな経験をしてきたためか、私は大人になるにつれ、父に対する過去の接し方を後悔し、次第に、同じように病に苦しむ人の近くで、当事者と家族を支えられる人になりたいと思い看護師を目指すようになる。誰かが幸せを感じでいる時よりかは、誰かが苦しんでいるときに近くにいられる人でありたいと思ったのだ。将来の目標を得た私は、看護学校ではこれまでにないくらい熱心に学んだ。勉強することが楽しかったし、充実した日々だった。

 そしてついに看護師として働き始める。緊張と不安の日々。毎日が学習で、あっという間に過ぎていった。働いているという達成感があった。このまま看護師としてキャリアを重ね、進んでいこうと思っていた。しかし働き始めて間もなく、身体が仕事を受付けなくなっていった。まずは食欲が落ちていった。朝食が食べられなくなり、次に昼食、そして夕食の摂取量も減っていく。それと同時に「早く寝て次の日に備えなければ」という強迫観念にも似た気持ちが襲い始め、早く寝ようと布団に入るが明け方まで全然寝られない日々を過ごす。夜中汗びっしょりになって飛び起きることもあった。原因はわからなかった。職場の人は、それは合わない人もいたが、そこまでストレスになっているとは思っていなかったし、他の病棟と比べるとまだ残業も少ない病棟だった。だから最初は精神的なものが原因ではないと思っていた。しかし体重は減り続け、身体が弱ると次第に精神も弱っていった。家では隠れて泣くことが増え、仕事のことばかり考えるようになっていった。いつも身体と心が緊張していた。ついには仕事の休憩時間にも大泣きし、泣きつくように妻に電話する日もあった。そしてついに身体が、心が動かなくなった。布団から起き上がれず、仕事に行けなくなった。そんな私の状態を見ていた妻が、髭もそらず、髪もぼさぼさな状態な私を精神科へ連れて行ってくれた。そして医師からうつ病と告げられた。


 これが、私がうつ病と診断され、看護される側になるまでの経緯である。過去の、父のうつ病が影響しているかは分からない。原因も分からない。ただまず身体が、次に精神が病んでいった。そして一度病んだ精神は中々良くならないことを知った。近くで長年うつ病を見て、専門的に学ぶのと、自分がうつ病になるのとでは大きな違いがあることを知った。そして私はここで初めて父の苦しみを理解することとなった。私のうつ病闘病生活はこうして始まった。

 

 報われない話を長々と読んでいただき、ありがとうございました。