うつかんの本棚

うつ病になったアラサー看護師→現在「専業うつ」。病気・読書から得た情報を発信します。

私のタラレバ

 

最近プロテインを摂るようにしています。

そらそら(@sorasorautsu)です。

お越しいただきありがとうございます。

 

今回は「私のタラレバ」というタイトルでお話ししたいと思う。

 

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 ご存知の方も多いだろう。日本テレビ、毎週水曜22時からのテレビドラマ「東京タラレバ娘」を見て、私のタラレバを考えてみた。私のタラレバはもちろん「うつ病になってなかったら」である。

うつ病になってなかったら

 うつ病になってなかったらどんな人生を歩んでいただろうか。

 うつ病と診断される前に働いていた病院で看護師としてキャリアを重ね、良き先輩看護師として新人看護師や後輩看護師を教えていたのだろうか。

 色んな患者と接し、大変な業務をこなしながらも、人間的にもっと成長していたかもしれない。

 私は研究が好きなので、看護研究に熱心に取り組んでいたかもしれない。

 些細ではあっても昇給していて、現実と比較するとお金についての心配も少なかっただろう。

 子どもに働く父親の背中ってものも見せられていただろうし、そんな自分に自信をもって、交友関係も広がっていたかもしれない。
 ……挙げたらきりがない。

 きっと人生もっと良い方向に進んでいた。

 そういう気持ちが圧倒的に勝っている。

 

タラレバの二面性

 〇〇していたら……△△だったのに。〇〇していれば……△△だったかも。
 この言葉を聞いたとき、考えた時、△△に良いこと、悪いこと、皆さんはどちらを思い浮かべるだろうか。

 先ほど私の考えを挙げたように、私は圧倒的に良いことを挙げた。つまり、現実と比較し良いことが起こっていたかもしれないと考え、現実を悲観的に捉えている。

 このように、タラレバと聞くと、一種愚痴のような一面を考えさせる。

 

 しかし、タラレバにはもう一面ある。

 つまり、△△には悪いことも入れられるのだ。

 

 うつ病になってなかったら、悪いことも起こっていたかもしれない。

 このように考えるのは少し難しいが……。

 うつ病になってなかったら、父親精神疾患で苦しむ方の気持ちを理解できなかったかもしれない。

 様々な病気を患う患者へ、理解の欠けた、自己満足な看護師になっていたかもしれない。

 仕事熱心になるあまり、家族をないがしろにしていたかもしれない。

 娘との親子の時間を全く取れなかったかもしれない。

 「自分とは何か」「自分はどうこの先どのように生きていくのか」等の深い質問について考えず、何となく人生を歩んでいたかもしれない。

 相変わらず、「周りの人に合わせる」「自分の意見を我慢し押し込める」といった癖が残り、個性に欠ける、つまらない人間になっていたかもしれない。

 そして、これは確実にそうであったであろう……Twitterやブログを始めず、皆さんとお話しすることや、このような自分の考えを発信することはなかったであろう。

 

 何も現実と比較し、良いことばかり起こっていたとは考えられない。

 もしかしたら悪いことも起こっていたかもしれない。

 そう、起こっていない現実なんて、何が起こっているか誰も分からない。

 将来どうなるなんて、誰にも分からないのである。
 

 そのように考えると、近い未来「私がうつ病になってなかったら」なんてタイトルで、「うつ病になって本当に良かった」と発言しているかもしれない。

 

 これは自分へのメッセージとして書くが……
 何かしらタラレバとして考えてしまうとき、どうか悪いことばかりでなく、良いことにも目を向けて欲しい。そのように考えるとタラレバは「〇〇になってよかった」「〇〇していてよかった」という考えにもなるのだ。

 そうすれば現実がもっと輝いて見えるかもしれない。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。