成長は物差しでは測れない
読書をしていると心が落ち着きます。
そらそら(@sorasorautsu)です。
お越しいただきありがとうございます。
今回は「成長は物差しでは測れない」というタイトルで書こうと思う。
私の好きな本の一つに「ピーナッツ」という本がる。
皆さんご存知であろう、あのスヌーピーやチャーリーブラウンが出てくる物語である。
そんなスヌーピーが出てくる物語には実は色々な生きるヒントが隠されている。
今回のタイトルは「スヌーピー こんな生き方探してみよう」というタイトルの本から考えさせられた小題から頂いた。
ここでは、その小題から得た学びと自分の考えを含めながら書こうと思う。
著しい成長期
私の娘の話になるが、先日娘の通う保育園で身体測定があった。
娘は入園してから10㎝ほど身長が伸び、体重もそれなりに増えていた。
子どもの成長はなんと早いものなのか!
身体面だけではない、この前まで何も話せなかったはずなのに、気づくと私のことを「お父さん」と呼び、先日なんか私が言ったことに対して「マジで?」と返してきたのだ!!
これに関しては、喜びというよりかは反省をした。
子どもは親の言動をしっかり見ている。
正しい言葉遣いをしようと決意した日となった。
このように、子どもの成長は著しい。
身長や体重などの身体面で、そして精神面でも、目覚ましく成長していく。
目に見えない成長
しかし、私たちはある年齢に達すると成長が目に見えなくなる。
そのため人は成長過程を数値化することにより、自己の発達過程を表現してきた。
それは身長や体重など身体面に留まらず、テストの点数や成績、取得した資格や年収も含まれるだろう。
このため、人は、そのような数値化できるものだけが成長であると勘違いしがちである。
ここで、文頭で触れた本から一部引用する。
国の成熟度が経済的数値だけでは表しきれないように、人の成長も社会的尺度だけでは測れません。それは、精神的成長を数値で示すことが不可能だからです。しかもたとえば病やリストラのように一見マイナスに見えることが、実はその人の人間的成長を促す大きなきっかけとなる可能性も少なくありません。人は人生の中で、前へ進むだけでなく、立ち止まったり、回り道をしたりするもの。しかし、視線を前へ向けている限り、いつまでも成長し続けることができるはずです。
私が言いたかったことが上手くまとめられているので、これ以上言うことはほとんどないが……。
私たちは社会的尺度によって自分の成長が見えていないと不安になることがある。
人生前に進んでいないと、なぜか後ろめたいような気分にさえさせる。
しかし、引用文にもあるように、人生は時に立ち止まり、回り道をするものである。
まっすぐ進むのが良いとは限らない。
立ち止まったことにより、気づけなかった風景を見ることができ、回り道をすることで思わぬ宝物を見るけることもある。
うつ病によって私は回り道を余儀なくされた。
そして自分が立ち止まってしまったことをよく後悔している。
しかし、急がば回れということわざがあるように、実はこの回り道によって、他では得られない経験をし、その先には大きな成長が待っているのかもしれないのだ。
どんな道でもいい。
今は下しか見られなくても、最後には前を向き、胸を張って人生を歩んでいきたいと考えている。
最後まで読んでいただきありがとうございました。