うつかんの本棚

うつ病になったアラサー看護師→現在「専業うつ」。病気・読書から得た情報を発信します。

平常心

 

 とても久々にブログを更新します。

 そらそら(@sorasorautsu)です。

 お越しいただきありがとうございます。

 今回は「平常心」というタイトルで考えたことを書きます。

 

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 私には大切にしている一枚の絵がある。

 その絵は私のとても尊敬する人が描いてくれたもので、私はその絵を頂いた時から、私がよく使う部屋の一番目立つところにその絵を飾ってきた。

 特別貴重な物が描かれているわけではなく、額縁も至って普通のものである。

 

 その絵には、大きな楠木が一本描かれている。

 平原に一本だけ、大きな楠木が一本。

 まるでとなりのトトロに出てくる楠木のようだ。

 その楠木は青々とした葉が茂り、地面にしっかりと根を張り、堂々と立っている。

 欠けたところが一切ない、完璧な木のようだった。

 そしてその絵の隅には、毛筆で書かれた「平常心」という字が力強く書かれている。

 それだけの絵だ。それ以上でもそれ以下でもない。
 

 

 この絵を頂いたとき、私は人生の岐路立っていた。

 この先の人生どうすればいいか迷っていたのだ。

 そしてその決断を下すことができないでいた。

 最初この絵を見て、この絵の意味が分からなかった。

 どうして大きな楠木の絵をくれたのか。

 どうしてその絵の隅に平常心という言葉が書かれていたのか。

 その意味を考えていると、一通の手紙が同封されていることに気が付いた。

 

 その手紙にはこのように書かれていた。一部引用する。

 

 さて、今日は一枚の絵を描きました。楠木です。この大木はなにげなく立っていますが、おそらく百年以上は過ぎていると思われます。これまでには色々の艱難・試練があったと思われます。あるときは大きな台風や強風、世の多くの事柄も見てきたことでしょう。あの戦争も見てきました。あるときは枝がちぎれて飛んで行ったこともあったでしょう。しかし、今は何事もなかったかのようにしっかり大地に根を張り、雄々しく平常心でおられます。
 私たちも、色々なことがあってもそれにくじけることのない、ゆるぎない心を持って、これからもよく備えのある者として終わりまで雄々しくあり続けることができますように…。「平常心」でいれるよう、生きていきましょう。

 

 手紙を読んで泣くという経験を初めてした瞬間だった。

 私は人生に迷っていた。

 この先どうすればいいのか。

 どこに進んでいけばいいのか。

 どのように進んでいけばいいのか。

 全てにおいて迷っていた。

 そしてその決断をすることを恐れていた。

 自分の選択によっては深い傷を負うかもしれない。

 取り返せない間違いを犯すかもしれない。

 漠然とした恐れと不安が私を覆っていた。

 そんなときに頂いた絵と手紙だった。

 「平常心であれ」その絵は私にそう語りかけているようだった。

 

 そしてその絵は今も部屋の一番目立つところに飾られていて、私を力づけている。

 うつ病となり、多くの不安に襲われ、もうだめかもしれないと思ったときに、この絵を見る。
 

 この楠木も辛いことがたくさんあったに違いない。

 戦争や台風・強風によってたくさんの葉や枝が飛ばされ、時には大地がえぐられ、立っているのも辛い時期があったかもしれない。

 しかしだからこそ、今はその根をしっかりと大地に張り、大きく、雄々しく、平常心で立っているのだろう。

 もしこの楠木が温室で、風やその他の外的危機を受けずに育っていたら……おそらく楠木はこんなに大きくなっていなかったであろう。

 その枝は細く、弱く、風が吹けば簡単に折れてしまったに違いない。
 

 私たちが人生で経験する艱難・試練もとても辛いものだ。

 これまでの人生を否定され、信頼していた友が離れ、もう立ち直れないくらいのダメージを受けるものかもしれない。

 もういっそ死にたいと思うこともあるかもしれない。

 しかし、そのような経験が私たちを強めてくれる。

 立派な木に育ててくれるのも事実である。
 

 人生で艱難・試練は避けて通れない。

 その艱難・試練は人によって異なるであろう。

 この絵は私に「平常心であれ」と教えてくれる。

 「がんばれ」や「努力しろ」や「耐え忍べ」ではない、「平常心」である。

 いつかこの嵐が自分を強く育てる。

 そう信じている。

 

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。