幸せのハードル
ミニマリストを目指しています。
そらそら(@sorasorautsu)です。
今回は「幸せのハードル」というタイトルでお話しします。
以前、「死のハードル」というタイトルで「うつ病患者は死のハードルが低くなる」というお話をした。あれから日々の生活の中で「死のハードル」を意識して生活していた。するとハードルには悪いものだけでなく、良いハードルもあると感じた。今回は「幸せのハードル」というタイトルで考えたことを記す。
日常の生活には様々なハードルが存在する。「死のハードル」もその一種である。
「死のハードル」についてはこちら↓
ハードルは良いことでも悪いことでも、私たちが何か選択するときにそこに存在する。
それには私たちの気分や気持ちも当てはまる。
ストレスに対するハードルが低ければ、ストレスを感じやすくなるし、笑いのハードルが低ければ、ちょっとしたことでも笑ってしまうという具合である。
では「幸せのハードル」とは何か。それはどのような出来事に幸せを見出せるかという感覚のことである。
例えば、ある人にとって幸せとは、「年収1000万円以上の人と結婚し、大きな家を持ち、やりがいのある仕事をもって、家族全員が健康であること」という感覚だったりする。
しかし、別の人にとって幸せとは、「おいしいものを食べられたとき」という感覚であったりもする。
また、別の人にとっては「人から『ありがとう』と言われること」という感覚もある。
このように、一言で「幸せ」と言っても様々であり、状況が同じでも「幸せ」と考えるかどうかはその人によって異なってくる。
何に幸せを感じるかはその人の自由であるし、それがその人の価値観でもあるので、これが良い、悪い、とは断言できないし、ここではそのようなことを述べない。
しかし、小さな些細なことでも幸せを感じている人がこの世界にはいるということは知っておいて良いと思う。
つまり、「幸せのハードル」が低い人もたくさんいるということだ。
このような人は、幸せのハードルが低い分、ハードルが高い人に比べて日常生活において多くの幸せを感じる機会がある。
一言でいえば「お得」なのである。
私はうつ病になって、この「幸せのハードル」が高くなっていた。
健康な身体が欲しいし、経済的に困らない生活もしたい、仕事で成功したいし、欲しいものもたくさんある……今の自分にないものばかりが目に付く。
このように私は自分で幸せのハードルを上げ続けていた。
それは何も悪いことではない。
理想を持つことは時に人のモチベーションを上げ、行動力を生み出す。
そのような人によって社会は回っているといっても過言ではない。
しかし、そのことばかりに捕らわれたために、日常生活で幸せを感じられないと勘違いすることは少し間違っている。
何も特別でなくても良い。
「おいしいものを食べられた」「本を読んで感動した」「熱中できる趣味がる」等……こんなことでも幸せを感じても良いのである。
幸せは人によって異なる。
「だからこれが幸せだ」とは言えないし、言いたくもない。
しかし、何も高いハードルのほうがより幸せかというと、そうでもなかったりする。
私たちの日常生活にある様々なハードル、幸せのハードルは案外低かったりもするのだ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。